市場に欠けている機能

さらに問題となるのは、市場には現世代と将来世代の財や資源を配分する機能がないことである。そもそも将来世代のために何らかの資源を留保する機能は市場には備わっていないどころか、現世代が将来世代の資源を「惜しみなく奪う」のが市場である。たぶん、市場が将来世代の財や資源を徹底的に奪う装置であることを現世代の人々は自覚すらしていないのではなかろうか。

『フューチャー・デザイン  ~七世代先を見据えた社会~』 西條辰義/著  P9

 

将来を見据えた政策によって、オーバーシュートは避けられる

社会は将来を見据えることで、限界が近づいて来ていることを知り、限界との衝突を避けるために必要な予防策を取ることができる。オーバーシュートと崩壊の問題は、少なくとも理屈上は解決できる。しかし、実際に解決するのは難しい。なぜなら、将来を見据えた政策というものは、たいてい明日のために今日を犠牲にすることを求めるからだ。賢明な政策は、人間のフットプリントが持続化不可能なレベルに踏み込むのを許さない。つまり、短期的に利益を上げることを狙った拡大を阻もうとするのだ。短期的視野に立つ有権者が力を持つ民主主義社会や、短期的な利益を追求する投資家が支配する自由市場において、そうした政策を遂行するのは難しい。

『2050 今後40年のグローバル予測』

 ヨルゲン・ランダース/著 野中香方子/訳 P408

 

私の予測は当たるのだろうか?

世界は本当に、その気になればやれることをしないほど愚かなのだろうか?すなわち、今後数十年に発生する気候変動の問題に備えて、資金と人的資源を事前に投入することはできないのだろうか?残念ながら私の答えは「できない」だ。世界は愚かにも、意義ある行動を先延ばしにしてしまう。理由は単純で、世界を動かしている民主主義と資本主義が短期志向だからだ。

『2050 今後40年のグローバル予測』

 ヨルゲン・ランダース/著 野中香方子/訳 P313

畏友

<2020年 年初にfacebookにアップした原稿です>

この文章を書くのに、1年もかかってしまいました。
2018年に刊行された沖縄を題材にした2冊、『沖縄アンダーグラウンド』と『宝島』
ノンフィクションとフィクション、ジャンルは異なりますが、沖縄について考えるうえで、どちらも、ぜひ読んでもらいたい作品です。僕は、この2冊を読んで、自分は沖縄について何も理解していなかったのだということを、思い知らされました。

 

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

  • 作者:藤井 誠二
  • 発売日: 2018/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

宝島

宝島

 

 


まずは、畏友、藤井誠二さんの『沖縄アンダーグラウンド』。
圧倒的な取材力に、感服です。沖縄のダークサイドをはいつくばって、かき集めて、拾い上げて、つぎはぎして、そんな作業だったのではないでしょうか。まず、事実を集めることに時間をかけ、それを慎重に組み上げていくことにさらに長い時間をかけた、情に流されず、技巧に陥らず、真摯に事実に向き合う姿勢を感じました。いま思い起こせば、その作業は、僕が藤井さんの案内で初めて沖縄を訪れた四半世紀前から始まっていたのかもしれません。
入り口は、赤線を彷彿とさせる(と言っても僕には、赤線は経験にも記憶にもないわけですが、あえて彷彿させるとしたうえで)沖縄の売春街が、昭和を超えて、平成の終わりに近い時期に、その幕を閉じてゆく。「新町」が「浄化」されていくドキュメントとして始まります。
売春を生業とする人たちの境遇や、彼女たちを追い込む仕組み、そして生身の人間の、それこそ肌のぬくもりや吐息を感じさせるやり取り、それだけでも貴重な証言の記録ですし、圧倒的な「事実」の積み上げとして、登場人物たちの境遇が「進行中の歴史」とでも言うのか、沖縄の重く芯のある部分に迫る力を感じます。改めて「沖縄」について考えさせられます。
太平洋戦争で、日本で唯一の地上戦が戦われ、破壊の限りを尽くされた沖縄。
戦後その地で生まれた「売春街」の歩みが、そのまま沖縄の歩みと重なる。
戦争末期、まさに本土防衛の捨て石とされた沖縄は、戦後、日本の復興、成長のための捨て石として、二度まで犯されたわけです。それは、売春街に生きた女性たちの姿とも重なるところです。
後段で、警察署長が「普天間も移設され、基地もなくなっていく、基地とともに歩んだ売春街が無くなるのは必然ではないか」という思いを語るところがあります。
しかし、そうでしょうか?基地はなくならないし、米兵の暴行は、今も後を絶ちません。沖縄は、常に何かごまかされている。そして、それを本人たちもわかっている。
そこで、真藤順丈氏の直木賞受賞作『宝島』。沖縄の“戦後”を戦果アギヤーを軸に描く物語です。(筋書きの要約などは割愛します。大変面白いのでぜひ読んでみてください)もちろん、娯楽小説として十分楽しめる作品であることは、前提として、それでも、沖縄という存在の芯に触れる意味では、藤井さんの『沖縄アンダーグラウンド』と表裏をなす作品と言っていいと思います。
この2作品が同時期に世に出たのは、偶然ではないのだろうと思っています。しかも、2人とも沖縄人=ウチナンチューでないことも不思議な合致ですが、その意味は大切です。なぜ、大和の2人が、偶然にも同じ時期に沖縄の「戦後」を題材にした作品を世に問うたのでしょう?
当たり前かもしれませんが、2人とも「沖縄の魅力」を理解したかったのではないかと想像します。過酷な戦争の傷跡、集中する米軍基地、だけど明るく陽気で、まるでチャンプルの様な沖縄の“魅力”。その不思議な魅力はどこから来るのか?それを突き詰めたかったのではないかと思うのです。
そして、それは、誤解を恐れずに言えば「戦場」の魅力です。
戦争は、敵と味方に分かれ戦うものですが、心ならずも、そのすき間に落ち込んだ者にとっては、「戦い」こそ止んでいても、そこは、永遠に「戦場」であり続ける。沖縄は「今も戦場」なのです。
少なくとも僕には、この2冊を読み終えて感じたことは、そのようなことです。「沖縄には戦後などなかったし、今もない」、そして、沖縄は未だ「戦場」なのだ、ということです。だから、冒頭に記したように、僕は沖縄について何も理解していなかったのです。
繰り返しますが、この2冊は、沖縄に関心のある人には、ぜひ読んでほしいと思いますし、関心のない人にも読んでほしい。沖縄を考えることは大事なことだと思うからです。
なぜ、大事か?というと・・・

自分の貧しい経験にだけ頼っていた僕の人生は…

自分の貧しい経験にだけ頼っていた僕の人生は…

~『今につながる日本史』を読んで~

 丸山淳一著 中央公論新社

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

立命館アジア太平洋大学学長の出口治朗さんは、巻末の著者との対談で、ビスマルクのこの言葉を引き合いに出し、「(震災の対応について)経験から学ぶだけでは、人生のどこかで震災が起こらなければ対応策を学べません。でも人類の歴史は5千年ありますから、時間軸を延ばせば様々な対応策を学ぶことができます」といいます。

 

 

今につながる日本史 (単行本)

今につながる日本史 (単行本)

  • 作者:丸山 淳一
  • 発売日: 2020/05/19
  • メディア: 単行本
 

 

まさに、この本は、古代、中世、近現代、と時間軸を自在に行き来しながら、今日、僕たちの直面する様々なニュースと歴史的出来事の相似性を見出し、本質を読み解くという趣向の本です。いわば「賢者の本」といったところでしょうか。

 

著者の丸山淳一さんには、読売新聞で経済部記者、論説委員、経済部長、熊本県民テレビ報道局長などを歴任された筋金入りの報道マン。当時、僕が担当していたBS日テレの「深層NEWS」のキャスターとして丸山さんをお迎えして以来、大変お世話になっています。

経歴からは、経済畑が専門なんかと思いきや(もちろん専門ですが)、大の歴史好き。番組でも経済がテーマの時よりも歴史もの(深層NEWSでは、末裔シリーズなどと言いながら、歴史的人物の末裔の方々をお招きした放送を何回かお届けしました)の時の方が、ノリノリで本番に臨まれていと記憶している程です。失礼ながら。

 

さて、こちらの著作、今日のニュースを過去の歴史的出来事と相照らしながら読み直すというと、多少堅苦しく、小難しいのかと思われる向きもあるかと思いますが、あにはからんや、高校時代、世界史選択で、日本史をまともに学んだ経験のない僕でも、大変面白く読むことができました。

 

・元祖・働き方改革 天智天皇が使った切り札

・デフレ脱却の秘策「勝ち組」信長と「負け組」信玄

・忖度?公文書書き換え江戸時代も 将軍が自ら追及

・あの会社の騒動も?義挙か謀反か、忠臣蔵の真実

・大ナマズ秀吉の天下を倒す 歴史を変えた大地震

・戦国のおっさんずラブ 英雄たちの恥ずかしい手紙

・「柔道の父」と「二刀流の祖」熊本と五輪が結ぶ縁

 

本書のうちからいくつかを拾い挙げたタイトルを見ても分かるように、取り上げるテーマも、政治、経済、外交、にとどまらず災害、暮らし、スポーツまでと幅広く、いくら歴史好きとはいえ、丸山さんには、いったいどれほどの引出があるのだろうと、驚きを超えてあきれてしまいました。

 

また、歴史は、時代時代で解釈が変わったり、研究の結果これまでの通説が覆ったりするのが常です。なので、歴史について書く場合には、特に多くの史料、文献、先行研究など、さまざまな文献に当たる必要があるわけです。

この本の中には、取り上げた歴史的出来事についての通説、新説、俗説などが、様々な文献から網羅されていて、歴史的出来事そのものの基礎知識が詰まっています。今日のニュースを別の角度から読み直すだけでなく、歴史そのものの基礎知識をはぐくむという意味からも「一般教養の書」とも言えるでしょう。

歴史好きに限らず、特に若い人には、ぜひ手に取って読んでみてもらいたいと思います。

 

著者の丸山さん、実は、歴史以外に「天一(ラーメンの天下一品)のことなら一晩中でも語り明かせる」というほどの「天一」マニアでもあります。歴史とラーメンをこよなく愛する丸山さんには、『今につながる日本史』の続編を望むとともに、時間が許すのであれば『総覧・天下一品物語』もご執筆願いたいと思っている次第です。

ともあれ、まずは、皆さんも『今につながる日本史』ぜひご一読あれ。

ビジョンを描くこと

ビジョンを描くとは、想像することである。何を本当に望んでいるのかを、まずは全般的に、そしてしだいに細かいところまで思い描いていくことだ。思い描くのは、あくまでも「自分が本当に望むこと」であって、人からそう望むようにと教えられたことでも、それで我慢することに慣れてきたことでもない。ビジョンを描くことは「本当にできるだろうか」という思いや、不信、過去の落胆という制約を外し、この上なく高尚で心がうきうきする、自分の大事な夢に思いをめぐらせることである。

 

成長の限界 人類の選択』ヨルゲン・ランダース他・著 枝廣淳子・訳 P345

「高い株価」2つの問題点

コロナの影響をうけての自粛は、そう簡単には、全面解除には至らないでしょう。緩めては締め、また緩めては締めといった具合に、第2波到来におびえながら、慎重に進められることとなると思います。というか、そうしないと、パンデミックなど起こったら、それこそ収拾が付きません。

そんな状況のなか、株価だけは、先行して早くもコロナ前の高値まで戻しつつあります。アメリカ市場に引っ張られているという感じはありますが、ご存知の通り、日銀が買い支えていることも大きな要因だと思います。一部報道によれば、このまま日銀がETFを買い増していくと、今年中には、日本で最大の株主になるであろうということです。

そこで、問題点のひとつ目です。これは、さまざま指摘される通りで、日銀の株式保有比率が増すことで、市場が「官製相場」となる問題点です。日銀が積極的に株式を購入することで、投資家も「安心して」株式に買い進めることができます。しかし、新型コロナの影響は、すでに各方面で試算が出ている通り、世界的に戦後最悪の景気後退を招くことが予想されています。リーマンショックの時と異なるのは「実体経済が痛んでいる」ということです。その実体経済を反映するのが株式市場であるはずですが、折からの「官製相場」で、市場の役目を果たさなくなってしまっているのではないでしょうか?であるとすれば、遅かれ早かれ株価は下落すると考えられます。その時、日銀は「株を売れるのか?」答えはNOでしょう。日銀がつられて株を売ったらそれこそ暴落につながりかねません。日銀は、ババ抜きのババを手放すわけにはいかないわけです。大きな含み損を抱える日銀は、どうするのでしょう?本来であれば「大株主」として、個別企業の業績改善に口を出すのが株主の役割ですが、日銀は「議決権」を行使しません。つまり、ガバナンスも効かなくなるということです。

歴史をさかのぼれば、このような経済の危機は、産業の新陳代謝のきっかけになります。時代の変化に対応できない企業が市場から去り、新たなイノベーションを引っ提げて次の時代を担う企業が市場に参入してくる、スクラップアンドビルドの機会にもなるのです。それが市場の市場としての大事な機能のひとつです。

しかし、その機能がマヒしているとなれば、対外的な信用は損なわれ、日本への投資そのものが、大々的に引き上げられることにもつながりかねません。いま、株式市場を押し上げている投資家、特に外国人投資家や機関投資家たちは、引き際を見極めながらチキンレースをしている様な気分ではないでしょうか? 

ということで、日本の市場経済が困った状況になってしまうというのが、ひとつの問題点です。

 

そして、二つ目の問題点です。「株式市場は、企業の将来価値を示す」と言われています。そこで、今の株価が、将来の企業業績を見越したものであると仮定しましょう。

第一の問題点とは矛盾しますが、もしコロナ禍がこのまま世界的に収束に向かい、実体経済も動き出す。それまで、日銀なりGPIFなりが一生懸命に株価を支え、景気が回復し始めたら、ゆっくりと売り抜けていく。もしかしたら、そんなことを政府関係者は昼日中から夢想しているのかもしれません。可能性としては万に一つぐらいの確率であるかもしれません。

であるとしたら、何が問題なのか? 

これは、これで大問題だと思います。つまり「経済成長がすべての問題を解決する」という、ここ30年、主に日米の政策当局者が信じてやまなかった「信仰」が、そのまま維持されてしまうことになるからです。

コロナ禍は、人類の大きな転換点になるであろうし、すべきであると思う立場からすると、運よくコロナ禍をやりすごして、またもとのように、過剰に生産して、過剰に消費し、富める者がさらに富み、貧しきものはさらに貧しくなることを良しとする世の中が続くということは、やはり問題だと思うのです。

私たちは、いま「成長の限界」に気付くべきです。うまくコントロールしながら「衰退する」選択肢を取らなければ、この先に待っている崖はより深いもになってしまいます。当の『成長の限界』を世に問うてきた人たちは、「すでに手遅れだ」といいます。「崖から落ちることは避けられない、ただ、ショックを和らげることは、今からでもできる」というのが、彼らの考えです。私たちは、そろそろ気づかねばいけない。少なくとも「新自由主義」的経済観念は、葬り去られるべきです。

しかし、何食わぬ顔で、コロナ以前の生活を求める者たちの野望が株価として表れているとすれば、今の株高はやはり大きな問題です。20世紀を通じて「繁栄」を謳歌してきた企業に変身、または退場を求めるためにも、株価の下落は必要なことだと思っています。

平時に革命はならず、とでも言いましょうか、本当は、景気の良いときに、この大きな進路変更ができればよいのですが、人類はそれほど理性的ではないということでしょう。

なので、あえて、持続可能な世界のために持続不可能な株高を。