「高い株価」2つの問題点

コロナの影響をうけての自粛は、そう簡単には、全面解除には至らないでしょう。緩めては締め、また緩めては締めといった具合に、第2波到来におびえながら、慎重に進められることとなると思います。というか、そうしないと、パンデミックなど起こったら、それこそ収拾が付きません。

そんな状況のなか、株価だけは、先行して早くもコロナ前の高値まで戻しつつあります。アメリカ市場に引っ張られているという感じはありますが、ご存知の通り、日銀が買い支えていることも大きな要因だと思います。一部報道によれば、このまま日銀がETFを買い増していくと、今年中には、日本で最大の株主になるであろうということです。

そこで、問題点のひとつ目です。これは、さまざま指摘される通りで、日銀の株式保有比率が増すことで、市場が「官製相場」となる問題点です。日銀が積極的に株式を購入することで、投資家も「安心して」株式に買い進めることができます。しかし、新型コロナの影響は、すでに各方面で試算が出ている通り、世界的に戦後最悪の景気後退を招くことが予想されています。リーマンショックの時と異なるのは「実体経済が痛んでいる」ということです。その実体経済を反映するのが株式市場であるはずですが、折からの「官製相場」で、市場の役目を果たさなくなってしまっているのではないでしょうか?であるとすれば、遅かれ早かれ株価は下落すると考えられます。その時、日銀は「株を売れるのか?」答えはNOでしょう。日銀がつられて株を売ったらそれこそ暴落につながりかねません。日銀は、ババ抜きのババを手放すわけにはいかないわけです。大きな含み損を抱える日銀は、どうするのでしょう?本来であれば「大株主」として、個別企業の業績改善に口を出すのが株主の役割ですが、日銀は「議決権」を行使しません。つまり、ガバナンスも効かなくなるということです。

歴史をさかのぼれば、このような経済の危機は、産業の新陳代謝のきっかけになります。時代の変化に対応できない企業が市場から去り、新たなイノベーションを引っ提げて次の時代を担う企業が市場に参入してくる、スクラップアンドビルドの機会にもなるのです。それが市場の市場としての大事な機能のひとつです。

しかし、その機能がマヒしているとなれば、対外的な信用は損なわれ、日本への投資そのものが、大々的に引き上げられることにもつながりかねません。いま、株式市場を押し上げている投資家、特に外国人投資家や機関投資家たちは、引き際を見極めながらチキンレースをしている様な気分ではないでしょうか? 

ということで、日本の市場経済が困った状況になってしまうというのが、ひとつの問題点です。

 

そして、二つ目の問題点です。「株式市場は、企業の将来価値を示す」と言われています。そこで、今の株価が、将来の企業業績を見越したものであると仮定しましょう。

第一の問題点とは矛盾しますが、もしコロナ禍がこのまま世界的に収束に向かい、実体経済も動き出す。それまで、日銀なりGPIFなりが一生懸命に株価を支え、景気が回復し始めたら、ゆっくりと売り抜けていく。もしかしたら、そんなことを政府関係者は昼日中から夢想しているのかもしれません。可能性としては万に一つぐらいの確率であるかもしれません。

であるとしたら、何が問題なのか? 

これは、これで大問題だと思います。つまり「経済成長がすべての問題を解決する」という、ここ30年、主に日米の政策当局者が信じてやまなかった「信仰」が、そのまま維持されてしまうことになるからです。

コロナ禍は、人類の大きな転換点になるであろうし、すべきであると思う立場からすると、運よくコロナ禍をやりすごして、またもとのように、過剰に生産して、過剰に消費し、富める者がさらに富み、貧しきものはさらに貧しくなることを良しとする世の中が続くということは、やはり問題だと思うのです。

私たちは、いま「成長の限界」に気付くべきです。うまくコントロールしながら「衰退する」選択肢を取らなければ、この先に待っている崖はより深いもになってしまいます。当の『成長の限界』を世に問うてきた人たちは、「すでに手遅れだ」といいます。「崖から落ちることは避けられない、ただ、ショックを和らげることは、今からでもできる」というのが、彼らの考えです。私たちは、そろそろ気づかねばいけない。少なくとも「新自由主義」的経済観念は、葬り去られるべきです。

しかし、何食わぬ顔で、コロナ以前の生活を求める者たちの野望が株価として表れているとすれば、今の株高はやはり大きな問題です。20世紀を通じて「繁栄」を謳歌してきた企業に変身、または退場を求めるためにも、株価の下落は必要なことだと思っています。

平時に革命はならず、とでも言いましょうか、本当は、景気の良いときに、この大きな進路変更ができればよいのですが、人類はそれほど理性的ではないということでしょう。

なので、あえて、持続可能な世界のために持続不可能な株高を。