畏友

<2020年 年初にfacebookにアップした原稿です>

この文章を書くのに、1年もかかってしまいました。
2018年に刊行された沖縄を題材にした2冊、『沖縄アンダーグラウンド』と『宝島』
ノンフィクションとフィクション、ジャンルは異なりますが、沖縄について考えるうえで、どちらも、ぜひ読んでもらいたい作品です。僕は、この2冊を読んで、自分は沖縄について何も理解していなかったのだということを、思い知らされました。

 

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち

  • 作者:藤井 誠二
  • 発売日: 2018/09/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

宝島

宝島

 

 


まずは、畏友、藤井誠二さんの『沖縄アンダーグラウンド』。
圧倒的な取材力に、感服です。沖縄のダークサイドをはいつくばって、かき集めて、拾い上げて、つぎはぎして、そんな作業だったのではないでしょうか。まず、事実を集めることに時間をかけ、それを慎重に組み上げていくことにさらに長い時間をかけた、情に流されず、技巧に陥らず、真摯に事実に向き合う姿勢を感じました。いま思い起こせば、その作業は、僕が藤井さんの案内で初めて沖縄を訪れた四半世紀前から始まっていたのかもしれません。
入り口は、赤線を彷彿とさせる(と言っても僕には、赤線は経験にも記憶にもないわけですが、あえて彷彿させるとしたうえで)沖縄の売春街が、昭和を超えて、平成の終わりに近い時期に、その幕を閉じてゆく。「新町」が「浄化」されていくドキュメントとして始まります。
売春を生業とする人たちの境遇や、彼女たちを追い込む仕組み、そして生身の人間の、それこそ肌のぬくもりや吐息を感じさせるやり取り、それだけでも貴重な証言の記録ですし、圧倒的な「事実」の積み上げとして、登場人物たちの境遇が「進行中の歴史」とでも言うのか、沖縄の重く芯のある部分に迫る力を感じます。改めて「沖縄」について考えさせられます。
太平洋戦争で、日本で唯一の地上戦が戦われ、破壊の限りを尽くされた沖縄。
戦後その地で生まれた「売春街」の歩みが、そのまま沖縄の歩みと重なる。
戦争末期、まさに本土防衛の捨て石とされた沖縄は、戦後、日本の復興、成長のための捨て石として、二度まで犯されたわけです。それは、売春街に生きた女性たちの姿とも重なるところです。
後段で、警察署長が「普天間も移設され、基地もなくなっていく、基地とともに歩んだ売春街が無くなるのは必然ではないか」という思いを語るところがあります。
しかし、そうでしょうか?基地はなくならないし、米兵の暴行は、今も後を絶ちません。沖縄は、常に何かごまかされている。そして、それを本人たちもわかっている。
そこで、真藤順丈氏の直木賞受賞作『宝島』。沖縄の“戦後”を戦果アギヤーを軸に描く物語です。(筋書きの要約などは割愛します。大変面白いのでぜひ読んでみてください)もちろん、娯楽小説として十分楽しめる作品であることは、前提として、それでも、沖縄という存在の芯に触れる意味では、藤井さんの『沖縄アンダーグラウンド』と表裏をなす作品と言っていいと思います。
この2作品が同時期に世に出たのは、偶然ではないのだろうと思っています。しかも、2人とも沖縄人=ウチナンチューでないことも不思議な合致ですが、その意味は大切です。なぜ、大和の2人が、偶然にも同じ時期に沖縄の「戦後」を題材にした作品を世に問うたのでしょう?
当たり前かもしれませんが、2人とも「沖縄の魅力」を理解したかったのではないかと想像します。過酷な戦争の傷跡、集中する米軍基地、だけど明るく陽気で、まるでチャンプルの様な沖縄の“魅力”。その不思議な魅力はどこから来るのか?それを突き詰めたかったのではないかと思うのです。
そして、それは、誤解を恐れずに言えば「戦場」の魅力です。
戦争は、敵と味方に分かれ戦うものですが、心ならずも、そのすき間に落ち込んだ者にとっては、「戦い」こそ止んでいても、そこは、永遠に「戦場」であり続ける。沖縄は「今も戦場」なのです。
少なくとも僕には、この2冊を読み終えて感じたことは、そのようなことです。「沖縄には戦後などなかったし、今もない」、そして、沖縄は未だ「戦場」なのだ、ということです。だから、冒頭に記したように、僕は沖縄について何も理解していなかったのです。
繰り返しますが、この2冊は、沖縄に関心のある人には、ぜひ読んでほしいと思いますし、関心のない人にも読んでほしい。沖縄を考えることは大事なことだと思うからです。
なぜ、大事か?というと・・・