8月15日(木)

74回目の終戦の日。だけど本当は「敗戦の日」。言葉の言い換えは、「真実」を覆い隠す。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるが、結局、人は「経験」=「痛い目」を見ないと学べないのだろうかと、最近つくづく思う。しかも、それは、この国の指導者とか政治家とか官僚とかいうレベルではなく、全世界的な潮流なのかもしれない。だけど、狡猾に「歴史に学ぶ」者もいる。おそらく、早晩アメリカは、どこかで戦争を始めることだろうと思う。来年は大統領選挙だから、「戦時の大統領」という「歴史」を「学習」して、チンピラ的暴力行為にでることは、いまの大統領であれば何の躊躇もないことだろう。果たして、この国が、その極めて私的な武力行使にどの程度巻き込まれるかはわからないが、「敗戦」以来、唯一の宗主国として仰いできたアメリカ様の行いに、わずかでも抗うことは出来ないであろうし、する気もないだろう。さらには、最近のお隣とのご近所トラブルを発端に、直接、当事者になることも妄想ではないかもしれない。おそらく「敗戦」に学ぶことないこの国の国民は、ある種の民族的カタルシスを求めて「戦争」を支持するかもしれない。戦争は、それを指導する者さえ後戻りを許さない「民意」に後押しされる。そんな「歴史」に、今、学ばなくてどうする?